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 神山さん,ISM研究会の皆さん,今井です。神山さん,論争の全体像をフォ
ローしていただき,誠にありがとうございます。

>[ism-study.35]として投稿したものが、ふだん使っ
>ていないパソコンで、メーラも別のものを使ったら、ミスで、日付が狂っ
>ておりました。お手数ですが、探してご一読お願いいたします。

 これはこちらの手許には既に着信しています。で,今朝の09:00頃にそれに
対するお返事も送信したのですが,なんかいまだにメーリングリストを通じて
配信されていません。まぁ,もうすぐ神山さんのお手許にも俺のお返事が着信
するはずです。その中では,神山さんからの質問に対しては,不十分ながら,
お答えするだけはお答えしておきました。着信するまでもう少しお待ちくださ
い。

>ずれをお互い確認する形で、議論をつづけてまい
>りました。

 ズレがなければ論争にならないし,ズレが大きすぎても論争にならない──
というところでしょうか。俺も神山さんが廣松主義者であったら,あんな細か
いことには拘りません。問題意識を広く共有してその上で細かい点でズレがあ
るからこそ,俺としても,ダイレクトに問題意識をぶつける形で,細かいとこ
に拘っているのです。

>この「問題意識の問題意識」を今井さんは、価値形態論とのかかわりで
>論じて下さっています。ちょっと私の手に余るので、興味深かったという
>感想でここはご容赦ください。

 なにしろ,珍説ですからね。軽く聞き流してください。俺ももう少し考え
て,頭を整理したいと思います。俺の見解もコロコロと変わることでしょう。
 神山さんもご存じのように,『経済学批判要綱』では,マルクスは価値形態
論も交換過程論も物神性論も全部ごちゃ混ぜにぶち込んで論じているのですよ
ね。あの問題意識にまで立ち返ってみよう──その後で物象化・物神崇拝・人
格化の発生的関連の中で捉え直してみよう──というわけなのです。