日時 | 2000年06月11日(第71回例会) |
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場所 | 立教大学 |
テーマ | 『環境経済学への招待』(植田和弘著),第6,7章 |
今回は『環境経済学』の中で,各論部分である第6,7章を検討した。
第6章はルーラルアメニティ(農村地域の自然的・文化的環境)の破壊の原因を論じ,それを破壊しないような地域開発を提唱している。
植田が市場で扱われ得ない財としてのルーラルアメニティに与えている諸特徴は総ての財に当て嵌まる。そこで,アメニティ財はもちろんのこと,正に総ての財が市場で扱われ得ないのにも拘わらず,扱われているということが問題なのだというように,問題転換するべきであると,報告者は強調した。
出席者からは,次のような疑問点が提出された。──(1)植田は環境価値に,利用価値だけではなく非利用価値(オプション価値・遺贈価値・存在価値)をも加算して,とにどうにかして,費用便益分析の効率性基準の中に環境保全を内生化しようとしている──そのような仕方で効率性と公正性とを両立させようとしている──が,これは八百長である。もし非利用価値が予算制約を受けないのであれば,存在価値を例えば100兆円にするということによって,殆ど同義反復的に総ての開発は禁止されるべきだということになるだけの話だし,もしそれが予算制約を受けるのであれば,人気・知名度が高い(しばしば,環境保全がそもそも既に商売の一環として組み込まれている)観光地だけが生き残るべきであってその他のルーラルアメニティは破壊されても構わないという凡庸な結論が出るだけの話である。そもそも資本主義的な合理性・効率性しか反映し得ないという限界を弁えないと,費用便益分析の意義も有用性も失われてしまうのではないか。逆に言うと,そのような限界を弁えて初めて,費用便益分析は有意義・有用であり得るのではないか。(2)植田は理論的な経済学者としてはルーラルアメニティ破壊を糾弾しているが,実践的な環境コンサルタントとしては要するに観光と農業との結合を提言するだけである。両方の立場は矛盾するのであって,ルーラルアメニティ破壊の糾弾が導き出す結論はルーラルアメニティ一般の保護であり,これに対して観光と農業との結合が導き出す結論は競争優位──従って特定のルーラルアメニティの勝ち逃げ,裏返すと大多数のアメニティの廃棄──である。
第7章は環境技術の開発・内生化,環境情報の公開・共有化,環境保護のための税制,公害経験の伝達,効率的かつ公正な行財政システムの構築を論じている。ここでは,出席者の間で公共信託法理の意義付けが議論になった。公共信託法理が明確化しているのは,受託者の個別化と委託者の一般化である。実際の裁判の原告的確認定に関わりなく,この両面において,環境が公共的な利害関心事(インタレスト)であるということが表現されている。