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 ISM研究会の皆さん,今井です。

 いやぁ,今日は暑かった。横浜国大の教室にはクーラーがないので困りま
す。いや,俺はいいんだけれどもねぇ,学生がだれちゃってさぁ(←よくある
他人転嫁による自己弁護)。横浜国大の事務の方はいい方が多いです。レジュ
メをコピーしようと思って事務課に行くと,事務員の方が“私がやります”と
親切におっしゃってくださり,必ず失敗します。今日は多くの事務員の方が出
張っており,俺自身がコピーをとったので,すぐに終わりました。

 もう六月も半ばだと言うのに,まだ貨幣論をやっています。去年と同様に,
後半期(タテマエ上は別科目)に辻褄合わせをしなければなりません。商品の
ところはすぐに終わるんだけれどもね。

 今日は先週やった支払手段および世界貨幣の復習の後,国際通貨体制の説
明,インフレの説明などでお茶を濁しました。手形・小切手について詳しくや
りたかったのですが,時間がないので来週に回しました。手形・小切手はレジ
ュメを用意して一時間半かけてみっちりとやるつもりです。まぁ,掛売買の説
明をかなり詳しくやったので,理解できないことはないでしょう。

 貨幣のところで随分と時間を取られていますが,(1)労働の形式的な社会性
は商品の社会性(つまり物象の社会性)として,そして商品の社会性は優れて
貨幣の社会性として現れるということ,(2)もし単純商品流通の世界を知らな
ければ市場社会の(否定はもちろんのこととして)肯定(=正当化)さえでき
ないということ,(3)サラリーマン[*1]にとって経済現象は直接的には優れて
貨幣的現象として現れるということ──を考慮すると,貨幣に延々と時間を取
られるのも止むを得ないでしょう。手形のところではパクリのやり方なんかを
紹介して,ズル賢い犯罪者の養成,じゃなかった,犯罪に対処し得る健全社会
人の養成に貢献したいと思っています。

[*1]俺はこの言葉に男女の両方を含めて,学生に説明し
ています。マスコミでも一般常識でも,このような用法
が一般的になりつつあるからです。当事者意識に対して
語りかける時には,重要なのは起源よりも,現在の使わ
れ方です。そして,現在の使われ方で重要なのは,もと
もとの使われ方によって押し付けられた制限性よりも,
使われ方の変化によって表現されている現実そのものの
変化です。