本文
ISM研究科の皆さん,脳天を砕く麺棒こと今井です。今回は一期一会の店,
永坂更級本店です。まさに一期一会こそは,茶道の神髄であり,料亭の精神な
のです。
蕎麦に限らず料理には,個人の好き嫌いが出ます。私が心から推薦する永坂
更級本店の蕎麦が嫌いだという不幸な方も,中にはいらっしゃるかもしれませ
ん。そういうことをご了解の上でお読みいただければ幸いです。
**************************************************
麻布十番に三軒の有名な更科蕎麦がある。永坂更科布屋太兵衛麻布総本店,
総本家更科堀井,そして麻布永坂更科本店である。今日はこの中で麻布永坂更
科本店を紹介しよう。
三年も前のことだろうか,友人の車に乗って広尾,六本木に行ったところ,
無暗に腹が減った。車で行けば麻布十番などすぐ近くだ。我らは通り沿いにあ
る永坂更科本店に行ってみることにした。
それ更科蕎麦はその洗練において薮を受け付けない。蕎麦の色には白,黒,
緑,茶色があるが,更科と言えば,やや茶色がかった白っぽい蕎麦で通ってい
る。信州の更科蕎麦のことは知らないが,東京で更科蕎麦と言ったら,かなり
洗練された蕎麦のことを連想する。
そも蕎麦は保存用の代用食料として出発しながら,民草の大いなる営みの中
で長い年月を経て,今日のような洗練された姿にまで進化したのだ。恐らく
は,米も麦も育たない場所で,あるいは飢饉の時期に,蕎麦掻きだの蕎麦団子
だののようなものから蕎麦を食すことが始まったのだろう。“蕎麦”という字
を見れば,米の代用食であった麦の,そのまた代用食であったと想像すること
ができよう。そして,遂には,われわれの想像を絶するような構想力が,中国
から伝来してきた麺の技術を,この保存用代替雑穀と結合させたのだ。
人は誰しも,無垢なる赤子としてこの世に生まれいずるが,徐々に八つの戒
めを破り,段々と百八の煩悩にまみれていく。まこと現世に生きるとは穢れを
纏うことと同義なり。こんな時は旨い蕎麦でも食べて,世間の垢を落とさねば
ならぬ。この罪人(つみびと)を,その店は優しく迎えてくれた。
私は取り敢えず酒と板わさを注文した。心地よくほろ酔い加減になったとこ
ろで,三色蕎麦を頼んだ。
卵切り,茶蕎麦,御前であった。先ず卵切りだ。蕎麦の臭みは全くなく,卵
の豊穣な香りしかしない。次に茶蕎麦だ。蕎麦の臭みは全くなく,それどころ
か茶の香りさえしない。最後にいわゆる御前というやつだ。つまり,更科粉
(蕎麦の実の芯の部分の粉)だけを使った蕎麦だ。これこそは洗練の試金石で
ある。何故と言うに,御前蕎麦こそは変わり蕎麦ではなく,蕎麦粉・小麦粉・
繋ぎだけを使っている蕎麦だからだ。一口,口に含むと,なんとしたことだろ
う,蕎麦どころか凡そ総ての匂いが消え失せ,口の中をただ清冽な風だけが吹
き抜けていった。
百八の煩悩は悉く霧散した。解脱の味がした。菩提樹の下で釈尊,成道し給
うの味であった。私の浄化は終わったのだ。
蕎麦粉を十分に精製したのであろう,色は真っ白である。目を閉じると,一
面に広がる蕎麦畑に可憐に咲いた清楚な花が,目蓋の裏に浮かんでくるようで
はないか。譬えるなら室町砂場の笊(ザル)の色を思い起こしていただきたい
が,しかし同じなのは色だけで,味は全く別ものだ。ここの御前に較べてしま
っては,室町砂場の笊は形無しだ。なにせ蕎麦臭くっていけない。
そうこうするうちに,蕎麦湯が来た。こんなにも洗練された蕎麦湯を飲んだ
のも初めてだ。最早,多くを語る必要はなかろう。ここでもやはり,偉大な料
理人は蕎麦の臭みを消すのに,ものの見事に成功していた。
やがて別れの時が来た。暖簾をくぐると,外にはあの薄汚れた世間が待って
いるはずだ。いつまでもこの西方浄土に留まり続けていられるとしたら,どれ
ほど幸せなことだろう。我らもまた後ろ髪を引かれる思いであった。だが無常
の浮き世に,別れはつきものだ。既に覚者となった私に,最早,離別を恐るる
怯懦の心はない。目の前に三色蕎麦が運ばれてきてから,はや三分は経っただ
ろうか。既に十分に堪能した。もう何も思い残すことはなかろう。これ以上の
長居は,未練がましいというものだ。
因みに,三色蕎麦は2,000円である。酒を飲んでつまみを頼んで,たったの
4,000円程度で済んだ。
ここの蕎麦を食べた客は誰しももう一度,この店に来たくなるであろう。だ
がそれを執着と言うのだ。悟りを開きたる者に,振り返る道など,あろうこと
か。最早,現世でこの店に入ることはあるまい。これぞ一期一会の精神であ
る。今生の出会い,これを限りと見付けたり。
我らにできるのは,ただ別れを惜しむことのみであった。白鳥になって空の
彼方に消えていった,あの偉大なアクターが最期に残した言の葉を,私はこの
店に捧げた。──“親父,涅槃で待つ”。