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 窪西君,ISM研究会の皆さん,今井です。

 いやびっくりしました。昨日の深夜,テレビのスイッチを入れて,NHK-BSに
チャンネルを回しました。そしたら,クラプトンが出ていると思ったら,高田
渡でした。歌ってました。以前,ムーンライダースの鈴木慶一の番組にゲスト
で出ていたのは記憶しているのですが,テレビで観るのはそれ以来です。途中
で「生活の柄」も歌っていました。最後は何故か,「Good Night Irene」の替
え歌で締めていました。(余り日本の音楽事情に詳しくない方──俺も全然,
詳しくないんだけど──,ごめんなさい)。

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 ちょっと頭が回らないので,簡単なコメントで失礼します。

 先ず,建部さんからの引用に対するコメント。この本は電子マネーについて
は次の二点においてなかなかいいと思います。──(1)銀行・企業間の大口取
引では既に通貨は電子マネーになっている;(2)決済と相殺とは異なるのであ
って,企業間EDIの発展は相殺機能を銀行から奪うが,決済機構はその外部に
依然として必要である。

>内生的貨幣供給説は、
>その立論に依拠するかぎり、1980年代央以降のバブルの膨張とその崩壊
>に占める日本銀行の責任をともすれば免罪することになるという問題点
>を伏在させている。

 で,岩田・翁論争についてですが,どう考えても翁さんの主張──後積み方
式(個別的銀行は翌月15日締めで月毎に,後追い的に所用準備率を維持すると
いう方式)という特殊日本的事情の下では,準備が預金を規定するのではな
く,預金が準備を規定するという主張──の意図は日銀免責です。建部さんは
左翼としてそれに耐えられなかったのでしょう。

>筆者自身は、岩田氏[マネタリスト]の見解よりも翁氏[日銀]のそれ
>により多くの共感を覚えるものである

 内生的貨幣供給論は,普遍的に妥当するべき理論であるはずでしょう。です
から,あまり安易に,「準備預金制度に関する法律」という特殊日本的な法律
に基づく“理論”に共感を覚えない方がいいように思われます。

 次に,谷田さんからの引用に対するコメント。窪西君からの引用では,全体
としてこの人がもろにフィリップス理論に基づいているというのはよく解るの
ですが,細かいところになると今一つ何が言いたいのかよく解りません(「資
金の供給」だの「日銀信用」だの「かかわっている」だの「無関係といい切る
ことはできない」だの)。この本は読んでいないのですが,前のページにもっ
としっかりした概念規定が行われているのかもしれません。

 その他もろもろに対するコメント。

>流通の途中で蓄蔵貨幣として独
>立化することは決してないのであって、この点の理解はポストケインジアンより
>劣ってます。

 この点はこれまであまり考えていなかったのですが,どう考えたらいいんで
しょうか。──理論的には,外生的貨幣供給論は「脱漏」という偶然的な形態
でしか,流通手段の蓄蔵貨幣化を認めない。あくまでも偶然的形態に留まる。
預金は総て預金通貨として流通していなければならない(これは理屈抜きの当
為)から,蓄蔵貨幣の形成は預金口座からの脱漏という偶然的な形態でしか生
じない。だから,どうでもいい。つまり,信用乗数の大勢には変わりがない。
ところが,実際の信用乗数は計算上の信用乗数よりも遥かに低い(当たり
前)。従って,実践的には,外生的貨幣供給論は蓄蔵貨幣形成を脅威と感じて
いる。──こんな感じなんでしょうか。

>フィリップス川合氏も社会的再生産の
>立場です。

 漠然とした印象。『資本論』第2巻に基づいて第3巻を位置付けなければなら
ないという点では,久留間さんも川合さんも同じなのでしょうが,なんか,川
合さんの第2巻は,本当に再生産表式だけという感じです。やっぱり,川合さ
んの場合には,信用乗数論(外部的貨幣供給論)が超越的にあって,再生産表
式と信用乗数との量的関連(再生産表式からいかにして信用乗数を導出する
か)が決定的な問題意識なのかなぁと思います。

>三宅さんの「貨幣の前貸と資本の前貸」論は、個別的銀行とその貸出
>先の関係で見た議論です。

 おっしゃる通り。やっぱり,三宅さんには,銀行マン的視点が強すぎるよう
な気がします。それはそれで必要なのですが……。