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 さて,今回は別に“やられた”というわけではないんですが,喫茶店の倫理
と現実について,高尚なお話をしましょう。てゆーか,内容はつまんないん
で,暇人以外は読み飛ばしてください。

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 全く不案内は困りものだ。いまだに横浜駅周辺がよくわからない。ロクな店
がないではないか。もちろん,どこもかしこも駅前なんて同じようなものなの
だから,ロクな店がない点では,横浜だろうと新宿だろうと大して変わりはな
い。だが,不案内は大いに困ったもので,ヨリましな店を見付けるのに難儀す
る。

 相鉄ジョイナスの地下二階にSという汚い喫茶店がある。私は講義の前に精
神統一し,丹田に気を集め,神威の声を聞くために,一杯のフレーバーティー
を必要とする。

 因みにこのSという店,フレーバーティーにフォションの製品を使ってい
る。あれの香りはかなり人工的できつい。本当ならば自分のところで香りを調
合するのが好ましい。だが一杯500円だから仕方がない。私は贅沢は言わな
い。私は無理は言わない。

 さて,いやしくも“喫茶店”を名乗る店がやってはいけないことがある。汚
いおしぼり? ──いや,そんなものは使わなければいい。要領の悪い店員? 
──いや,そんなものは我慢すればいい。前の客がこぼしたケチャップのしみ
が残っているテーブル? ──いや,そんなものは自分で拭けばいい。いま挙
げた三つのファクターのどれか一つを特徴にする喫茶店は,大抵,残りの二つ
も特徴にしている。これは実に合理的だ。つまり,汚いおしぼりは,実はケチ
ャップを拭くためにあったのだ。要領の悪い店員は,実は注文を取る際にケチ
ャップを拭く時間を私に与えてくれていたのだ。かくのごとく,神の見えざる
手は,ここでも予定調和の世界を完結させているのを確認しよう。

 そうではない。それらはいずれも喫茶店の多様な否定的現象形態の一つとみ
なさねばならぬ。しかるに,私が言うのはもっと本質的なことである。喫茶店
の本質に関わることである。さて,それは何か?

 なお,ここで,“世の中にはコーヒーとは言えない不可思議な液体を出す喫
茶店があるが,これは喫茶店がやってはならないことの第一ではないか”とい
う解答をお持ちの方もいらっしゃるだろう。私も多いに同感するところであ
る。

 一番凄いのは,昔も今も変わらない。二番出し──いや三番出しかもしれな
い──の液体である。土石流を思わせるその液体は,偉大なるブルースミュー
ジシャン,マディ・ウォーターズのお気に入りだったと言う。

 あるいはまた,世の中に“炭焼きコーヒー”なる代物がある。私もこれが好
きだが,但し好きなのは炭焼きコーヒーである。炭になったコーヒーではな
い。“炭焼きコーヒー”を看板にしている店の中には,コーヒーのうっとりと
するようなほろ苦さとは別の,アクだらけの濁りに濁った苦さに出会えるとこ
ろがあるから不思議だ。

 最近,驚いたのは私がよく行く新宿甲州街道沿いの漫画喫茶のコーヒーで,
変てこな機械の注ぎ口から,最初にカップの中に普通のコーヒーが九割方まで
注がれた後で,今度は全く同じコーヒーがたくさんの酸素を混入して残りの一
割,注がれる。一見エスプレッソ風というやつだ。これはもはや芸術だ。蟹カ
マボコがクラシック,人造イクラがバロックであるならば,一見エスプレッソ
風はムソグルスキーと言えるであろう。

 このように,確かにコーヒーとは言えない液体を商品として販売する喫茶店
もある。だが,これはもう“やってはならない”とかそういうレベルの問題で
はない。ただの詐欺師だ。ホラ吹き野郎だ。

 それでは解答を出そう。喫茶店が絶対にやってはならないこと……。それは
生の水道水を出すこと,植物性の生クリームもどきを出すこと,パルスイート
を出すこと──この三つである。

 この三つが何故に喫茶店にとって本質的なのか? 確かに喫茶店はサービス
業であり,様々な有用効果を生み出すことで業を営んでいる。だがその中でも
中心的なコンテンツはやはり“喫茶”そのものであると,私は考えるのであ
る。“喫茶”を疎かにする喫茶店は形容矛盾であると,私は思うのである。

 上に上げた三つは,いずれも消費者にとって喫茶の対象であるところの商品
の使用価値の不可欠的な要素をなしている。だからこそ,喫茶店にとって決し
て疎かにしてはならない本質的な契機をなしているのだ。

 まぁ,私は大抵,コーヒーをブラックで飲むから,後の二つはいい。問題は
生の水道水だ。私はこの二十年以上の間,生の水道水を自宅では飲んだことが
ない。必ず15分間,煮沸してから冷蔵庫で冷まして飲むようにしている。

 何故にコップの水が喫茶店にとって本質的かと言うと,(1)日本の夏はなん
としても暑くて,のどの渇きを癒さねば喫茶の楽しみを堪能することができな
いからであり,(2)この薄汚れた大気の中では,一杯の水で舌に溜まった汚物
を洗い流し,また舌の細胞を活性化しなければ,飲み物の味がよくわからなく
なってしまうからである。特に私のように舌も鼻も粘膜が爛れきっている喫煙
者にとっては,一杯の水は殆ど必須だ。

 カルキを抜くには煮沸してもいいし,浄水器を使ってもいい。煮沸する時に
は必ず弱火で10分以上行うこと,間違っても鉄鍋・鉄瓶は使わないこと,急激
に冷却すること,容器に移すときに酸素をよく含ませることに注意する。現在
では,東京の人間が飲んでいる飲み水とは,要するに汚染された雨水と小便の
ことなのだが,小便もここまでやると結構いける。ミネラル成分が少ないため
力強さには掛けるが,料理やお茶に使う分には変なクセがなくていい。なお,
市販の“ミネラルウォーター”を名乗るものの中で,紙パックやペットボトル
に入っているのは法律で禁止した方がいい。臭くて堪らん。

 因みに電気ポットのカルキ抜き機能なるものは,私の知っている限り,全部
ペケである。一回や二回,やったくらいでは,ちっともカルキが抜けてないで
はないか。全く話にならない代物だ。今度公取に訴えてやる。

 しかるに,このSという店は,最初に入った時に,この私に生の水道水を出
したのだ。カルキ臭いだけではなく,カビ臭かった。ウゲェェェェェ

 その後は一度もその店のお冷やに口をつけていないから,今でもそうなの
か,よくわからない。ひょっとすると,不断はまともな水を出しているのに,
最初に入ったときにたまたま水道水が出てきただけなのかもしれない。だが,
一度あんなものを出されると,理性よりも肉体が,あのお冷やに口をつけるの
を拒絶する。

 それなのに私は,ここに毎週通っている。水は飲まず,人工的なフレーバー
ティーを飲んで我慢している。他に知っている店がないからだ。全く不案内は
困りものだ。