表題: | [ism-study.2] On the Contents of the Regular Meetings[57,58] |
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投稿者: | 今井 祐之 |
投稿日時: | 1999/07/04 01:48:31 |
修正日時: | -- |
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以下の部分は,ISM DataBase Application用に例会での議論の内容を簡単に 紹介したものです(ISM DataBase Applicationの新しいバージョン──と言っ てもマイナーバージョンアップですが──については,もう少しお待ちくださ い)。文責は今井にあります。例会になかなか参加することができない方は, レジュメだけでは,議論の内容が解りにくいかと思い,ここに掲載することに いたします。 ************************************************** 1.第57回(『株主総会』第1,2章) 今回は,『株主総会』の前半部分について,検討を加えた。 第一に,株式会社の空間的な特殊性が問題になった。著者がこの著書を書い た真の意図──資本主義一般を批判するということが目的なのか,それとも日 本の資本主義を批判するということが目的なのか──ということが問題になっ た。報告者は基本的には後者の側面からこの著書を理解した。また,その側面 から,日本資本主義の特殊性に目を奪われたあまり,資本主義一般において株 式会社が占めている位置を見失っていないかと,報告者は奥村の主張を批判し た。しかし,このような態度はそもそも一貫し得るものではなく,奥村自身, しばしば前者の側面から資本主義一般を批判している。そこで,出席者から は,後者の側面こそが奥村の真の意図ではないかという疑問が提出された。 第二に,奥村は日本資本主義の特殊性を強調するあまり,株式保有の法人化 現象と機関化現象とを本質的に区別しようとしているようである。これに対し て,報告者から次のような疑問が提出された。──資本主義的生産ではそもそ もエージェントはプリンシパルから自立化するのであって,この点では法人化 現象は機関化現象から本質的に区別され得るものではなく,両者の区別は実は 量的な差異であるのに過ぎない。いやそれどころか,人格化論におけるエージ ェントの自立化は,物象化論における資本の自立化に基づいている。 第三に,この著書の位置付けが問題になった。株式会社論を株主総会論とし て展開しようとしているということがこの著書の独自性であると,報告者は述 べた。しかし,奥村自身は,かなり曖昧な表現を用いている。そこで,出席者 からは,そのような解釈は成り立たないのではないかという疑問が提出され た。 第四に,株式会社の時間的な特殊性が問題になった。奥村にとっては株主総 会論こそが株式会社論であるということを前提にして,報告者から次のような 問題が提起された。──奥村の株式会社論は擬制資本ではなく実物資本が出発 点になっているのだが,しかしそれを直接的生産過程で機能している実物資本 としてではなく,株主総会として機関的に表出する実物資本として展開してい る。従ってまた,奥村にとっては,バーリ及びミーンズと同様に,アメリカの 経営者支配現象は,生産の大規模化に伴って株式会社が生まれつき持っている 本質的特徴ではなく,会社そのものの大規模化に伴って──そしてまた株主の 多数化に伴って──20世紀になって初めて出現する時代的特徴になっているの ではないか。 2.第58回(『株主総会』第3,4章) 今回は『株主総会』の後半部分について,検討を加えた。 第3章については,報告者から次のような問題が提出された。──奥村の論 述の筋道は非常に解りにくいが,それは奥村が次の3点について,理論的に区 別されなければならない2つの問題を混在させ,同時に論じてしまっているか らである。すなわち,(1)“株式会社の主権者は誰か”という問題においては 対立項をなすのは株主と経営者とであるのに対して,“株主は誰か”という問 題においては対立項をなすのは法人株主と個人株主とであるから,この二つの 問題は区別されなければならない。(2)株式の分散・集中という問題において は対立項をなすのは大株主と小株主とであるのに対して,株式所有の主体とい う問題において対立項をなすのは法人株主と自然人としての株主とであるか ら,この二つの問題は区別されなければならない。(3)会社の支配という問題 についても,会社の現実的過程に対して行う支配と単なるチェックとは区別さ れなければならない。 第4章については,報告者から互いに関連し合う次のような問題が提出され た。──(1)結局のところ奥村の展望は株主総会の活性化にあるのか,それと も大規模株式会社の解体にあるのか。(2)奥村がこの第4章を書いた理由は,異 常な日本資本主義を正常な資本主義に近付けるということにあるのか,それと も株式会社一般の危機を説くということにあるのか。(3)奥村の立脚点は株主 としての私的所有者の立場にあるのか,それとも民主主義の立場にあるのか。 株式会社論を奥村は理論的に考察しているわけではない。そこで,理論的に 考察する場合に必要になる基準──そのどちらをとるのかで結論が全く異なっ てしまうような選択肢──が参加者によって整理された。 ************************************************** これだけでは,なかなか議論の内容が解りにくいかもしれません。以前は浅 川さんが議事を録音していたのですが,今年度はちょっと浅川さんのMDが壊れ てしまい,研究会としては録音していません。その代わりに,高橋くんが何回 かの分を録音していらっしゃるので,これを強制収用(とは言ってもダビン グ)して研究会資産にし,希望者にお貸ししたいと思います。もう少しお待ち ください。 それでは,神山さんのコメントがアップされ次第,始めたいと思います。