本文


 Y.K.君,ISM研究会の皆さん,今井です。現在,神山さんは上京中で,パソ
コンを使える環境にないから,人格問題についてのチェーンはひとまずお休み
いたします。

>これが個人をたんなる経済人に一面化する

 これがちょっと今一つ解らないところなんですよ。私的所有者は優れて政治
的な社会形成主体(公民,有権者)になり得る──いやならなければならない
──が,“ベンサム”はそれ自体としてはせいぜい合理的経済人にしかならな
い。だからこそ,『資本論』の「貨幣の資本への転化」では,経済人そのもの
が問題なのではなく,経済人であっても事実的に,事実上,事実そのものにお
いて社会が機能してしまっているということに力点があるのだろうと,推測し
たわけです。ただ,今一つ確信がありません。
 近代的市民は私人と公民とに自己分裂します。その意味では,私的所有者を
公民,“ベンサム”を私人として把握するということも可能かなぁとも思いま
したが,しかしそもそも私的所有者こそはこの分裂した私人と公民とを(疎遠
な仕方で,つまり分裂させたままで)統一しているはずです。だから,“これ
はあかん”という結論に達しました。

>正月にテレビで『ジェルミナール』を見た

 俺は映画館で金を払って見ました(笑)。“差し迫る眠気,それとどう闘う
か”ということが問題だったので,細部の記憶が欠落していますが。