本文
愚劣極まりない凡ミスの訂正です。ちょっと専門的なお話であり,多くの方
にはどうでもいいことでしょうから,興味がない方は,今井の自己満足的な訂
正だということで,とばしてください。
俺は“[ism-study.47] Questions About "Person"”(1999/08/18 11:39)
の注2の中で,──
>俺の場合にも,労働過程
>では自己が対象化する(vergegenständlichen)の
>と同時に,対象もまたが自己化する(aneignen)のです
>が,この二重化を統一しているのは自己の側です。
と述べています。そもそも「対象もまたが」における「が」が余計なのです
が,それを全く別にすると,ここでは,俺は“対象もまた自己化する
(aneignen)”と述べているわけです。これは全く間違ったデタラメな表現で
す。正確には,“自己が対象をもまた自己化する(sich aneignen)”と表現
するべきです。すなわち,「自己化する」という動詞の主語は絶対に自己の方
であって,決して対象の方ではありません。
いずれにせよ,この変更によって「この二重化を統一しているのは自己の側
です」ということがますます明瞭になります。と言うのも,この二重化した振
る舞いのそれぞれの側面において主語は常に自己であるからです。従って,ヨ
リ正確には,上記の表現は「この二重化を統一しているのは,主語である自己
の側です」ということになるわけです。自己は,どちらの側面においても常に
主語であるということによって,この二重化した振る舞いを自己的に(=主語
として)統一しているわけです。
“なんだ,ドイツ語文法の問題か”と思う方もいらっしゃるかもしれませ
ん。確かに他動詞の主語が何であるのかということそれ自体はドイツ語の問題
なのです(その限りではどうでもいいことです)が,しかし二重化における人
間的自己の主語的・主格的(=主体的)な振る舞いは万国共通です。