第59回(『明日を支配するもの』,第1,2章)

日時 1999年05月23日(第59回例会)
場所 立教大学
テーマ 『明日を支配するもの』(ドラッカー著),第1,2章

今回は『明日を支配するもの』の第1,2章について,検討を加えた。最初に先ず,報告者がドラッカー理論の性格と歴史的転回,この歴史的転回における本書の位置,ドラッカー批判のポイントを整理した。

そもそもドラッカーは冒険する傍観者として徹底的に個別的資本に基づいて資本主義の危機を把握したはずであった。しかし,彼が期待した労働組合と独自な自主管理企業としての工場共同体とは,もともと理論的に破綻していたのだが,実践的にも完全に破綻した。しかしまた,変革は個別的資本の外部から,当事者が自覚しないなまま,出現した。これが年金基金社会主義と非営利組織とである。けれども,それでも不十分であった。ドラッカーが静かな革命を確信するためには,ソ連崩壊が決定的であった。ソ連崩壊によって,ドラッカーにとっては資本主義は完全に終焉した。ここで,ドラッカー理論は決定的に転回した。資本主義社会の危機論ではなく,未来社会のプログラムになってしまった。

この革命は,当事者が全く自覚しないまま,当事者の主体性とは全く無関係に,当事者の外部で,無自覚的・物象的・客体的に行われた。当事者意識と当事者主体とが全く変革されないままで未来社会が到来してしまった以上,当事者意識と当事者主体とを特別の認識主観が未来社会整合的に変革しなければならない。ここで,ドラッカーの態度も決定的に転回した。そもそも傍観者であると言っても,ドラッカーは,自己の個別的主体性に即しては極めて実践的であった。しかし,今では,ドラッカーは積極的に社会意識を,他者の主体性を変革しなければならない。こうして,傍観者はアジ演説家になってしまった。

この転回の線上に位置付けられるのが,『ポスト資本主義社会』と『明日を支配するもの』とである。既に,『ポスト資本主義社会』で社会システム全体についてアジ演説を行ってしまった以上,この『明日を支配するもの』でドラッカーが行うべきであるのは,個別的当事者主体(組織・個人)についてアジ演説を行うということである。

ドラッカーは,そもそも極めて現実的感覚に優れた思想家であり,またそれだけではなく,個別的資本の直接的生産過程に現存する労働する諸個人から出発して,資本主義社会の危機を位置付けようとしている。その構造は完全にマルクス理論からの借り物である。従って,今後,イデオロギー敵偏見から脱しつつある理論家がドラッカー理論に取り込まれていっても,なんの不思議もない。ところが,ドラッカー理論はマルクス理論と決定的に対立するのであり,しかも実に微妙な点でそうなのである。だから,われわれには,ドラッカー理論を今のうちに徹底的に批判しておくということが必要である。