表題: | [ism-topics.150] Gourmet of Class-C (TOKABO) |
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投稿者氏名: | 今井 祐之 |
投稿日時: | 1999/11/18 05:52:52 |
ジャンル: | 連載記事(C級グルメ) |
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ISM研究科の皆さん,味の暴走族こと今井です。今回は真心の里,東花房で す。名前からすると和食の店のように思われるかもしれませんが,そうではあ りません。南欧料理の店です。私が訪れたのは新宿ルミネ支店ですが,チェー ン店なので,あなたが住んでいる街にもあるかもしれません。 ************************************************** 2ヶ月ほど前のことだろうか,大島に一時的に引っ越していたときの話であ る。私は所用を終えた帰り,新宿に立ち寄った。その時,私の舌と胃袋は団結 して,デモ行進を始めた。もう9時過ぎになっていたのだ。東大島まで都営線 で23分,もう我慢できない。私はルミネに入って,どこかいい店がないか。す ると,目の前に突如として東花房という店が現れた。この店の存在は以前から 知っていたが,私はまだ入ったことがなかった。 店内に入って,メニューを見た。ふむふむ,仔牛カツ パルマ風というのが ある。いかにも南欧料理の店らしい。これを頼むことにしよう。 私は仔牛のカツが大好きである。定番のウィーン風はもちろんのこと,パン 粉に香草が入ったプロバンス風,パン粉にチーズが入ったミラノ風──どれを 作っても旨いものだ。だが,パルマ風というのはまだ食べたことがない。 実を言うと,私は普段,膝が60度に発熱して痛む,火の玉膝小僧症候群に悩 まされている。そんな病名があるものか,などとお疑いの方もいらっしゃるだ ろう。だが,往々にして,病名とはそんなものである。この研究会の会員であ る晩田さんが先ごろ罹り,数日間寝込み,多額の治療代を医者から請求された 病気の正式名称は“猫ひっかき病”である。会社の上司に電話して,“今日は 猫ひっかき病で休みますぅ”などと言おうものならば,“ばかもん”の一言が 返って来ること,請け合いだ。私もこれまで,この病名を言っても信じてもら えるかどうか疑わしかったので,皆さんには隠していたのだ。 その時も,私のデリケートな肉体には,火の玉膝小僧症候群が再発してい た。私は酒でも飲んでこの激痛から逃れようと思って,赤のグラスワインを頼 んだ。黒服のウェイターがグラスワインを直ちに持ってきた。 すると,なんということだろう,ウェイターは,グラスを置く際に,さりげ なく,私の膝の上に数滴のワインをこぼしてくれた。黒いズボンを履いていた から外の客には少しも気付かれないで済んだが,とてつもなくよく冷えたワイ ンのおかげで,私の膝の体温は確実に20度は下がった。また,赤ワインのタン ニンに薬効があったのだろうか,痛みが嘘のように消えていった。確かに,タ ンニンの少ない赤ワイン──例えばブルゴーニュ,中でもボジョレー──など は,日本では若干冷やした方が旨い。だが,これほど冷やしているということ は,よくよく考えると,ズボンを通して患部を治療するためだったと考えるべ きだろう。そこまで計算し尽くされているのだ。 私のズボンにワインをかけてくれたウェイターは,さも当然のことをしたと いうように,涼しい顔をしている。見るがいい,これが三ツ星レストランのサ ービスというものだ。こちらが声に出して,“私のズボンに,どうかそのワイ ンをこぼしてくださいませんか”と懇願しなくても,こちらの様子を察して, 機敏に応対する。しかもそうでありながら,決して恩着せがましくなく,あく までクール,とことんスマートだ。真心のこもった思いやりとは,このことを 言うのであろう。私はズボンから霧のごとく立ち昇ってくるワインのアロマと ともに,このもてなしの心にも陶酔した。 これほどの真心に,一体,どう応えたらいいのか。私は生まれてこの方,こ れまでこれほどのもてなしを受けたことがなかったから,恥ずかしい話,どう したらいいのか解らなかった。だが,誠意には誠意を,だ。私は取り敢えず濡 れたズボンを脱ごうと思った。いっそのこと,パンツも脱ごうと思った。いや それどころか,身に纏っている総てのものを脱ぎ捨てようとさえ思った。最 早,総ての仮面を捨て去り,腹蔵なき己れを露わにし,二心なき己れを曝け出 すしかないからだ。──“私には隠しごとは一切ありません。見栄も虚勢も打 算も下心も,世間体も虚栄心も,何もかも剥ぎ取った,本当の私を見てくださ い。これが私の誠心のあかしです。これが私の礼意のしるしです”。それが誠 意というものだ。生まれたままの姿こそは,百万語の謝辞よりも雄弁に,感謝 の気持ちを表すであろう。 ただ靴下だけは履いておかなければならない。男子たるもの,足の裏だけは 見せてはならぬ。たとえそれが故に命を落とそうともだ。それが男というもの だ。裸の体に燦然と輝く靴下こそは,千万語の演説より雄弁に,男の矜持を表 すであろう。 筆舌に尽くせぬほど洗練されたサービスに感動したあまり,肝心の料理につ いて話すのを忘れていた。火の玉膝小僧症候群が治まって後,程なくしてパル マ風仔牛カツがやってきた。 先ずはチーズだ。カツの上にチーズが乗っている。ミラノ風のカツは,通 常,パン粉の中に粉状のチーズをまぶして焼く。だがパルマ風のカツは,どう やらパン粉の衣を付けてフライパンで焼いた後で,更に揚げ茄子と──その上 にまた──チーズを載せてオーブンで焼くようだ。チーズを食べて私はうーん と唸った。──“とろけるチーズ”であった。 “パルマ風だからパルメザンチーズが乗っかっている”などと考えてはいけ ない。それは己れの発想が貧弱なのを,選挙カーに乗って連呼しているような ものだ。敢えて凡人の期待を素敵に裏切り,“とろけるチーズ”を使ったシェ フの発想力には,脱帽するのを通り越して,もう脱毛するしかない。 次に肉だ。どうしたらこれほど薄くできるのだろうと思うくらいに薄い。確 かに仔牛のカツはエスキャロップ(薄身)でつくるものだが,それにしても薄 すぎる。一見したところ,ほう,このシェフは仔牛のカツを紙カツ仕立てにし たのかと思うかもしれない。所詮,凡人の想像力はその程度のものだ。ナイフ を入れて驚いた。シェフの発想力はそこから数万光年は離れていた。 仔牛は白身肉と決まっている。ところがこのカツの肉は赤黒い。シェフは普 通の仔牛に満足できず,気の遠くなるような交配を重ねて,赤身の仔牛を開発 したのだ。それだけではない。一口食べて驚いた。私は後頭部をゲバ棒でめっ た打ちにされたような衝撃を味わった。 仔牛肉特有のふにゃふにゃした感じは,まるでない。2mmほどの厚さの肉は からからに乾燥して,旨みを凝縮している。これはビーフジャーキーに違いな い。つまりは,仔牛赤身肉のビーフジャーキー風 極薄造りなのであった。 これはもう,パルマ風とかジェノバ風とか,そういう次元の話ではない。バ スチーユは叩き壊された。アンシャン・レジームは崩壊した。これはカツの大 革命だ。シェフはカツ調理法のロベスピエールだ。 人は年をとるに連れて,次第に自由な発想を失っていく。今度この店に来た とき,果たしてこれほどまでに囚われのない発想を受け容れることができるで あろうか。そう思うと,言い様のない寂寥とした風がわたしの胸の中を吹いて いった。 だがしかし,なにしろ薄さ僅か2mmの中に味の宇宙を作り上げているのだ, 幸福な時間は長くは続かなかった。私は三口でそれを平らげてしまった。私は 天を仰ぎ,この小さな芸術作品が胃袋に消えてしまったのを心から嘆いた。 それを見て,ある人の曰く,“こうしかつ”といふ五つ文字を句の上にすへ て,し〜きゅ〜ぐるめの心を詠め,と言ひければ詠める。 この薄さ 嘘と思はば しかと見よ 紙のごとくは つひに終はりぬ と詠めりければ,皆人(みなひと),ぱんの上に涙おとしてほとびにけり。