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 神山さん,ISM研究会の皆さん,今井です。

>ま、意識なんて言葉を使うと意識先にありき、みたいなので、こういい
>ましょう。

 神山さんはよくご承知のように,こういう誤解を受けかねないから,俺は類
的本質あるいは労働する人格という名辞を用いているのです。神山さんのよう
にこの点に精通した方が使う限りでは余り問題がないのかもしれませんが,俺
のような素人が使うと,一方では言葉に引き摺られて,自分自身の問題意識を
制約してしまうことになりかねないし,また他方では第三者に対してうまく説
明する自信がないから,思わぬ誤解を招きかねないわけです。あくまでも自己
意識そのものではなく,自己意識する本質的存在(Wesen)であるということ
を,俺は常に確認したいと思います。尤も,このことさえ弁えておけば,俺が
用いる“類的本質”あるいは“労働する人格”と神山さんが用いる「自由な自
己意識」とは通訳可能ですし,今後はそのような通訳可能なものとして共通理
解していきましょう。

>「この事実上の関係」は文字通りの事実上の関係なのかなあ、とおもいま
>す。

 「文字通りの事実上の関係」というのがちょっとよく解りませんが,もちろ
ん,意識から独立して結んでいる限りでの生産関係ではありません。あくまで
もここでは,マルクスは相互的承認について事実的関係とその法的形態(契約
形式)とを区別しているわけです。ですから,神山さんがおっしゃるよう
に,──

>「後には契約等々で」との対比で、「事実上」といわれているのではな
>いでしょうか。

というわけです。契約という法的形式に先行する事実的な関係です。この事実
的な関係はもちろん相互的承認を要件にするのであって,決して無自覚的な関
係ではありません。で,契約という法的形式は,法制度的な整備(立法機関が
実定法を作成するなり,司法機関が慣習法を作成するなりということ)に先行
します。すなわち,──

事実的関係→法的関係→法律体系の下での法的関係

>「私的所有者としての相互的承認」なら、それ自体法的な、非共同体
>的、非自然発生的、非人格依存的な振舞い、共同体を想定しない自由な振
>舞い方(私的生産の私的交換としての振舞い)だとおもわれますから。

 「「私的所有者としての相互的承認」なら、それ自体法的な」というのは現
在のシステムにおいてはその通りですが,それが法的になったのは歴史的な過
程の産物であるわけです。