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 今井さんと神山さん、「労働する人格」についてのお返事ありがとうございま
す。おかげさまで頭の中で区別ができてきました。

 新自由主義についてですが、これは自由主義といえるのだろうかと思ったりし
ます。新自由主義のばあい、自由は効率性達成のための手段にすぎず、目的では
ないように思うのですけど。

 また新自由主義は、経済成長主義という点でケインズ主義と同じだと言えるか
とおもいます。といっても、資本蓄積しない資本主義など無いわけだから、資本
主義は経済成長主義を捨てられないんですけど。古典派も経済成長主義ですし。

 「自由・平等・所有」に続けてマルクスは「ベンサム」を並べてますが、ぼく
はこの「ベンサム」が妙にひっかかります。前の3つは商品経済を自然権から基
礎づけようとするものですけど、予定調和論はこうすれば世の中うまくいくとい
う話ですよね。スミスとかヒュームとかの経済的自由主義は、基本的に予定調和
論だとおもいます。

 福祉国家論にしろ新自由主義にしろ、社会のタテマエについての意識が薄く、
世の中うまくいってればいいじゃないかというノリがあるわけですね。複雑系経
済学に至ると、個人の自由など幻想だと言って新古典派を攻撃する。でも市場と
いうシステムでしか世の中うまくいかない(みたい)だから、これが浅知恵の人
間にはちょうどお似合いなんだ、と開きなおっているわけです。

> 進歩主義史観=客観主義。一つ一つの命題をとって
> みると──あるいはその命題の前提をとってみると──,手放しで正しいも
> の,あるいは少なくとも反証不可能なものが多いのです。神山さんもよくご存
> じのように,これに対して反動的左翼の感傷的反論を対置しても勝ち目はあり
> ません。

 勝ち目ないんですけど、左翼運動としては個々の課題に個々に答えをださねば
いかんのですよね。賛成か反対かというように。
 例会のほうでも議論しましたけど、社会化と敵対性の拡大とはいつでもワンセッ
トになっているものでして、進歩的側面ゼロの反動政策というのは例外に近い。
進歩的側面が従来の左翼の運動基盤の解体につながることが多いわけですね。

 個々の課題でたたかうことは、労働者階級の団結を輪をひろげることに意義が
あるのであって、個々の課題で勝利することは二次的な重要性しかもたない、と
いう答えかたもあると思います。
 しかし、団結の輪をひろげるためにも個々の課題でたたかわなければなりませ
ん。また、個々の課題で無限後退しながら「合理化や自由化はいずれ生産の社会
化を進展させ、階級対立を激化させるであろう」と言うだけでは、闘争回避の言
い訳のようになりかねません。

 金融危機への対処の仕方を例にとると、一方で銀行の公共性を重視し「金を出
すかわりに口も出す」、公金投入を認めるかわりに議会が銀行経営に口を出す、
という政策があります。
 他方で、資本主義のもとでの社会性の承認はしょせん限界がある、公金注入は
結局のところ資本の救済にしかならない、ビタ一文も入れずに大銀行が破産して
恐慌になっても労働者階級は恐れない、むしろ歓迎する、という路線もあるわけ
ですね(ビタ一文入れなくても資本主義は大丈夫だという立場もありましたが、
ここでは無視します)。

 たしかに反動左翼はジリ貧にならざるをえませんが、民主党の“市民的公共性”
と新左翼の階級闘争路線のどちらかを取れと言われれば、ぼくは新左翼に味方し
てしまいます。かりに日本に西欧型社民勢力ができたとして、共同決定法など提
起したとしても、やはり新左翼の肩をもつかもしれません。
 これでいいとは思ってませんが、現実の選択肢から選ぶとなると、こうなって
しまうんです。

 とりとめがなくてすみません。