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ドラッカーの『明日を支配するもの』についてコメントを書いてほしいと今井
さんからメールが来まして、この研究会には専門家が何人もいらっしゃるのでぼ
くが適任とは思えないのですが、ともかく話のとっかかりということで書かせて
いただきます。
ぼくは凡百のマルクス主義者と同じく、ドラッカーは経団連御用達の低俗な弁
護論者にすぎず、会社の研修でなくわざわざ自腹で買って読む大手町サラリーマ
ンはアホ、好んで研究材料にする学者は基地外だと思っていたのですが、ISM研
究会で『ポスト資本主義社会』を読んでみて、なるほどドラッカーは重要だ、下
手するとハマるなあということになって現在に至っております。
1・2章のレジュメで指摘されてるように、この本は『ポスト資本主義社会』の
続編として読まないと、何を言ってるのかさっぱり理解できません。ドラッカー
の著作は現状の社会認識について大風呂敷をひろげたあとに、変革主体たるホワ
イトカラー労働者の現場にそくした戦術編(?)を書くというパターンをくり返し
てるようで、60年代の『断絶の時代』や90年代の『新しい現実』『ポスト資本主
義社会』が戦略編、この本は戦術編に当たるようです。
『ポスト資本主義社会』の現状認識は、われわれはすでに未来社会への過渡期
に突入して久しい(その特徴が展開され現実化している)というものですが、そ
れについて述べるまえに、ドラッカーの産業社会論について少し触れたいと思い
ます。
ドラッカーが最初に書いたのはファシズム論です。当時のナチス興隆の原因を
社会科学者たちはウソを千回言ったからとか大資本と結託したからと説明してた
のですが、ドラッカーによれば、これらの説は間違っているだけでなくファシズ
ムを発生させざるをえなかった現代社会の根源的な危機に気づいてない能天気な
議論であり、危機に立ち向かうために批判されねばなりませんでした。
いまの社会が前提している社会の建前、「経済人」の社会という建前がすでに
崩れており、それに代わる建前が見つからない、これがドラッカーの危機意識で
す。なんだタテマエか、と人間歳をとると利口になって実を取りたくなるもので
すが、あくまでタテマエにこだわるところにドラッカーの偉大さがあるのであり
ます。
およそ社会というものはタテマエを持っています。タテマエを受け入れている
からからこそ、人々は社会を生みだすような自己規律ある活動をし、みずから社
会のなかで一定の役割をもつ成員として自分を位置づけることができます。社会
が機能するということは、王様を王様として人々が扱っているということです。
王様は裸じゃないか、と言った瞬間に社会は崩壊するのであって、あとに残るの
はただの烏合の衆です。
しかし、タテマエとホンネが一致することはそうそうあるものではない。王様
が半裸だと気づいても、社会秩序が緩んだままだらだらと続いていくことは出来
るし、実際続いているではないか。ローマ帝国も江戸幕府も黄金期より末期のほ
うが長かった。それに、鳩時計しか生まなかったスイスの平和より元禄繚乱の腐っ
た世の中のほうが楽しくて良いかもしれない。と、こういう考えもあるわけでし
て、ぼくも心情的に肩入れするところ大なのですが、社会の存続そのものを目的
視する考えをドラッカーは相対主義とかマネジメント万能主義とか呼んで最も忌
み嫌います。またこのような考えはファシズムを準備する役割を果たした意味で
も批判されねばなりません。
産業社会の現実は、経済的自由と経済的平等(所得の平等ではない)という理
念に反しており、企業は何のために・誰のために存在しているのか合理的な説明
ができなくなっています。このことは同時に、経済人であるべき人々が社会の成
員としての位置づけを失い、宙ぶらりんのサスペンション状態になるということ
でもあります。こういう状態に健全な人はいたたまれず耐えられませんし、それ
に慣れてしまったら人間廃業です(経験者は語る)。
こうして絶望した人々は、自由と平等にノーを言い、言い続けることによって
のみ存続する社会、社会秩序の否定を理念とする社会、脱経済化を目標とする経
済社会を受け入れるようになります。産業社会を維持しながら社会を非経済化し、
人々の社会的位置づけを経済から完全に切り離す芸当ができるのは国民皆兵の軍
隊だけです。産業社会のタテマエ問題が何ら解決していない以上、ファシズムは
いまだ現代社会の未解決問題であらざるをえないはずです。
絶望とファシズムへの熱狂という選択肢しか残らなかったのは、マルクスの社
会主義という代案が失敗したからにほかなりません。マルクス主義者は中間層・
管理労働者の出現を説明できず、プロレタリア周辺革命に失敗し、中間層と統一
戦線を組むに至って現体制の補完勢力まで成り下がり、破綻した産業社会に代わ
る新しい社会を何ら示せませんでした。マルクス主義は穏健な労働組合主義に変
質し、労組の執行部は大企業の執行部と同じく正当性問題を抱えています。
しかし、このようにマルクス主義を批判するドラッカー自身、マルクス主義の
図式を抱えこんでいるように思います。ドラッカーはプロレタリアートを社会の
解体の結果生じた有毒沈殿物と見なしますが、これは彼が周辺革命をマジメに恐
れていることの証拠です。宙ぶらりんのプロレタリア周辺層と、誰にもコントロー
ルされない特権中間層とはセットになってます。初期のドラッカーがファシズム
の代案として示すのが中間層とプロレタリアートの統一戦線による産業自治です
が、これは穏健なマルクス主義者の実践的結論とほぼ同じです。
『断絶の時代』のドラッカーはすでに危機意識が遠のいているようです。ブル
ーカラーの衰退を彼は満足の念をもって眺めてます。反革命勢力は放っといても
滅びるでしょうが、間違ってこの道に進むことのないよう念入りに説教するのが
彼の心遣いです。断絶の時代がより展開されたのが『ポスト資本主義社会』であ
るわけです。知識社会、グローバル経済といったキーワードは『断絶の時代』に
も出てますが、年金基金社会主義とソ連崩壊はまだです。
知識社会の発見によって、まちがった労働価値説と洗練されていても無根拠な
新古典派とに分裂した旧時代の経済学をドラッカーはのりこえることが出来たよ
うです。知識こそは富の源泉です。知識労働者はみずから生産手段をもっており、
知識社会のマネジメントは知識労働者による社会的生産過程の協同統治となりま
す。彼の最終目標は、経済社会の『資本論』に匹敵する知識社会の『知識論』を
書くことです。過渡期が終わって社会が完成してからでないと書けないので、生
きてる間には無理のようですが。
『明日を支配するもの』の中身についてですが、1章はわりと面白かったです。
大企業解体とかアウトソーシングとか所有関係の変化だけにとらわれてはいかん、
「目的−成果」の枠組みが重要なのだ、肝心なのは生産過程(の社会化)なのだ、
というメッセージが伝わってきます。ドラッカーにとってマネジメントとは最初
からそうしたものであるので、昔からドラッカーを読み支持してきた大企業の管
理職がどんどんリストラされても、彼は全然動揺しないばかりかますます元気な
のでしょう。
1章と2章に見るように、私的所有をのりこえる知識労働の社会化をドラッカー
は事実として確認し、情勢論に位置づけてます。3章はあけすけな「変革の担い
手」(82頁)論で“わがドラッカー党の任務”をアジってます。しかし1〜3章を
つうじて、ドラッカーは私的労働および私的所有の止揚にシステム的な矛盾を何
も感じてないようです。
4章は知識社会論の一部をなすであろう情報論です。 60年代末の『断絶の時代』
でも、コンピュータは道具にすぎず、コンピュータは情報化の必須条件ではない
と言っていたドラッカーですが、持論はこの本でも変わってません。生産過程お
よびその変化を見ない不毛な情報化論議の批判には共感するところもありますが、
正しい情報を持てば金融危機に対処できるなどと言ってるのには困ってしまいま
す。
5章は知識労働論です。知識労働論こそがドラッカーの最も革命的なものであ
り、同時にすべてのウソの源泉だと今井さんが書いてますけど、ドラッカーが理
論的にマルクスに非常に似ているにもかかわらず実践的帰結として経団連公認弁
護論になってしまう理由を考えると、この指摘は核心を突いてそうな気がします。
ドラッカーによるテーラーシステムの理解は優れてますし、そして大工業が労
働者の社会からの疎外をもたらしたわけなのですが、ブルーカラーの衰退によっ
てこれは過去の話となったそうです。ドラッカーが自動車工場の肉体労働者と、
彼らより時給の安いキーパンチャーの半肉体労働者を区別するのは、かなり苦し
いというか、ここまでして肉体労働と知識労働の疎遠な分離を維持するのは大変
だなあと同情してしまいます。
6章「自らをマネジメントする――明日の生き方」はレジュメでは[無意味な
ので省略]となってますので、本を持ってない方のために見出しだけ挙げておき
ますと、「1.自分の強みは何か 2.所をうる 3.果たすべき貢献は何か 4.他と
の関係における責任 5.第二の人生」となってます。愚劣きわまる人生訓話です
が、やはりこの章はドラッカー理論の必然的帰結なのです。新社会への移行の成
功は知識労働者諸君の自己マネージ力にかかっているのであり、それはドラッカー
の説教によってしか高められないのであります。また知識労働者は往々にして
(大半の場合)成功しないこともあるのであり、その場合には NPOをつうじての
社会参加を第二の人生にあてることが、社会秩序の安定のためぜひ必要なことな
のです。
ドラッカーがどこからどういうふうに間違っているのか、整理がついてません
けど、とりあえずこんなところです。